月のヒトリゴト

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青の女神 -δ-

すばる



前回からの続きです。

青の女神 -α-
青の女神 -β-
青の女神 -γ-


私は、小さい頃からいわゆる、じゃじゃ馬(死語)でして、男の子ともよくケンカしました。
男勝りで、負けず嫌いで、(男なんて)と、心のどこかでいつもバカにしているような女の子でした。

ですので、大人になってから、女性性・男性性の概念を知った時に、まず自分は、

男性性が強くて、女性性が弱いのだろうな

と思っていたんです。
ところが、内観を始めて、自分の内面を客観視していく内に、そうじゃないことに気が付きました。

私は逆に、女性性が過剰で、男性性が未成熟なんじゃないだろうか。

そう思い始めたんです。
もちろん、実際にそれが正しいかどうかはわかりません。
ですが、おそらく、この見当に間違いない、と今でも思っています。

女性性が過剰だと、ものすごく女性的(いわゆるか弱い感じ?)になるような気がしますが、わたしの場合は、そうではありませんでした。
いえ、根っこの部分では、男性に対する強い恐怖心を抱いてはいましたので、そういう意味では、か弱い部分もあったかもしれません。
しかし、それを表に出すことはできなかったんです。

そして、自分の中の男性性がうまく育っていなかったのを、女性性がカバーするように肥大した結果、いわゆるアマゾネスのような感じになってしまっていたのではないか、と自分では思っています。
もちろん、単純に『女性性が過剰だからこう』というわけではなく、バックグラウンドには色んな要素が絡まり合って…の結果ではあります。
あるんですが、両性のバランスを見て、状態を言い表すのであれば、そんな感じじゃないか、と思います。

ですので、私は、昔から、人(特に男性)に頼るのが、とても難しかったし、苦痛だったのです。
例えば、力のいる仕事であっても、ほとんど人には頼りませんでした。
(あ、もちろん中には率先して手伝ってくれる人はいましたので、そういう時はありがとうと言ってやってもらいましたけど、自分から手伝ってとはほとんど言いませんでした、というか、言えませんでしたw)
元々、体格に恵まれておりましたので、大概の力仕事は自分でできました。
学生時代の体力測定では、女子の平均は常に越えてましたし、項目によっては男子平均に近いものもありましたのでねw

頼る、というと女性性の管轄な感じがしますが、私は自分のなかの男性性が未熟で頼れなかったのと、女性性が男性性の分までカバーしていたっぽいので、内的世界が外の世界にも反映されていたのではないか、と推測しています。

男性(性)が未熟だから、頼ることができない。

無意識にそう思っていたんじゃないか、と思います。

出てきた過去生も、女性が多かったのですが、どれも勝気で沸点が低く、猪突猛進・自滅型の生でした。
そばには常に守ってくれる存在がいたのですが、気づくこともできませんでしたしね。

しかし、ありがたいことに、今生で、友人やガイドの非常に手厚い協力を得られまして、少しずつ、少しずつ、自分の思考の歪みを解きほぐしていくことができました。
まだまだ、未熟なところや、傷が癒せていない部分はもちろんあるのですが、それでも、周囲から『変わったね』と言ってもらえるくらいには、変われたのだと思います。
また、自分自身でも、明らかに変わったなと感じます。
視点や視座、そして考え方は、本当に変わったんではないでしょうかね。(ちょっと不安w
友人から以前、指摘されたこともあるのですが、どうも、昔と比べて文章のスタイルも変わっているようです。

とはいえ、まだ感情優位で沸点低い(たぶんこれは一生変わらないw)んですけども、感情に任せて行動しないような冷静さを、ある程度、保てるようにはなってきてると思います。
もちろん、今でも失敗はいくらでもありますw

バランスするっていうのは、中庸にまで持っていくってことじゃないのかもしれません。
凸凹をきれいに均すことが、バランスがいいということじゃないのかも。
わたしは、自分が感情優位で、平常時でも感情基準で動いている自覚はあるのですが、それはそれでいいか、と最近は思うようになりました。
ただ、激情に任せて動く、ということをしなければ、それでいいのかも、と思います。
自分が感情の海でばしゃばしゃする、というのは、個性でもあるんだろうな、と。
大時化でなにもかもをうねりに飲み込んで、破壊するような状態はいけません。
でも、多少の高波であれば、むしろ、サーファーには喜ばれますしね(どんな例えw

なにごとも、行き過ぎなければいいのかもなぁ…。

女性性の頑張りを少し緩めて、男性性の成長を促すようなやり方を、リアルとスピの両方からのアプローチで進めていくことで、自分のなかで、少しずつバランスが取れるようになってきたのだと思います。
客観視というのは、男性性の管轄だと思うので、内観そのものが、男性性の育成にもなっていたのかなぁとも思いました。

なんにしても、極端になっていた自分の両性のバランスを少しずつ取り戻していくことで、だんだん自分が楽になってくるのだなぁ、というのを実感し続けた5年でした。

また、自分でも具体的な目標やカタチの見えないまま、ひたすら、自分の性格を変えたい、という一心で突き進んできた5年でもあると思います。


さて、長くなっておりますが、次回で最後です。
ヒトリゴト(スピリチュアル) | コメント:0 |

青の女神 -γ-

前回からの続きです。

青の女神 -α-
青の女神 -β-


さて、ちょっと話が逸れますが、昨年の夏あたりから、生年月日などの占いで、自分の守護女神を教えてもらう機会がちょくちょくありまして、占い好きなものですから、いくつか見てもらいました。
そのなかで、よく出てくるキーワードが『知恵・正義の女神』だったんです。
有名どころでは、ギリシャ神話の『アテナ』ですかね。

私は、月曜生まれの蟹座、ということで、子供の頃からお月さまは特別な存在でした。
ですので、ギリシャ神話ではアルテミスが一番好きだったんです。
夜の女主人であり、銀の弓と矢を持つ狩人であり、森の守護者でもあったアルテミスは、処女神で、決して男性を寄せ付けない厳しい一面も持っていました。
また、わたしの守護女神の1柱でもあるアテナも、処女神です。

アルテミスは、処女神でありながら、多産の女神でもあります。
また、アテナは知恵と正義を司りますが、戦いの女神としての一面も持っています。
(軍神マルスとはまた別の、守るための戦いを司るそうですが)
どちらも、矛盾した性質だなぁと感じていました。
なんとなくですが、処女神には、そうした矛盾した性質を多く見受けられる気がして、長年、不思議に思っていたのですが、先日、この記事を拝読して、やっと腑に落ちたというか、なるほど!と思ったんです。

『カルマパターンに気付き、輪廻転生のループから解き放たれるとき 5』
http://plaza.rakuten.co.jp/michaeltan2/diary/201603010000/?scid=we_blg_tw01

狩猟・貞潔の女神、処女神であり、同時に多産の女神である。
これはわたしからするととても矛盾しています。
処女で貞潔である一方で多産であり、狩猟的なエネルギーを司る女神…。
つまり、女性の受容性と能動性、破壊的なパワーと創造的なパワーの両極を表しているのでは…とおもうのです。

(中略)

つまり、アルテミスは女性のセクシャリティのなかに内在している男性性・娼婦性と女性性・母性の両極を表す女神だったのです…。

(以上、本文より)

処女神がなぜ、矛盾する性質を宿すのか。
通常、女性でも男性でも、自分の内側には必ず、『女性性と男性性』の両方を持っているんだそうですが、その割合や、成熟の度合いなどによって、双方のバランスが崩れていたりすると、セクシャリティを起因とする様々な問題が発生しやすいそうです。
処女神が、処女(単身)のまま完結しているのは、自分の内側の両性のバランスが取れているからなのかも、と、個人的に解釈しました。

だから、アルテミスは処女神でありながら多産を司り、アテナは正義と知恵の女神でありながら戦闘を司っているのか、と思ったんです。
もちろん、それが真実かどうかはわかりません。
でも、わたしにとっては、その閃きがとても大切なことでした。

『青の女神』について、自分のガイドが

自分の女性性の部分と男性性の部分とが、自分のカルマ的なものを、ある程度清算した状態で統合した姿(イメージ)である

と説明してくれた、と書きましたが、それはまさに、処女神のことなのだなぁと思ったんです。
だから、自分を守護してくれる女神が『アテナ』というのも、なるほどと思えましたし、自分の進む方向性も、なんとなくわかってきたような気がします。(…気がするだけですけども。)


スピの世界でも、一時期(今でも?)、『統合』という言葉がよく出てきましたし、実際に『統合』というものがなんであるのか、というのも、なんとなーくわかるような、わからないような、という感じで、もんやりとした理解をしておりましたが、要は、『自分のなかの両性を共に受け入れること』なんでしょうね。(そりゃそーでしょイマサラなにゆってんの!、というツッコミはなしでお願いします)


私も、スピの世界に片足をつっこんでから、自己改革・自己実現を目指して(?)色んなことをしてきましたが、一番、効果があったのが『内観』だと感じています。
この内観というのも結構難しいもので、客観視が苦手な人ですと、逆効果になってしまう場合もなくはないようで…
思考の落とし穴にハマってしまったー、なんてことも、あるある体験ですが、それでもきちんとした内観がある程度できれば、非常に有効な手段であると感じます。
それにプラスして、ヒーリングやエネルギーワークなどを実践すると、加速度的に解消や理解が進んだりするようですね。

実際には、自分ひとりですべてやるというのは難しいですので、内観をしつつ、信頼がおけて、客観的な意見をもらえる人物(複数いると良いかも)に話せるのがベターだと思います。
もちろん、専門家にきちんと指導してもらえるのがベストだとは思いますけど、カウンセラーさんもピンキリのようですし、お金ももちろん要りますし、世間の評判が良くても、自分との相性もありますから、一概に言えないようですね。

また、方法によっては、そういった内観などの、自分にとって辛くしんどい過去をわざわざ追体験をしなくても、解消できるものもあるそうです。
つらいこと、かなしいこと、しんどいこと、怒り、恨み、恐怖など、ネガティブな感情は、時に、追体験をすることでこじれることもあるようですから、その辺り、気になる方は、一度調べてみてください。
特に、客観視が苦手な方は、ポジティブな方法の方が合ってることもあると思います。
とっかかりを、ポジティブなものにして、少しずつ修正できてきたら、内観や認知療法などに切り替えてもいいでしょうし、やり方はひとつではないでしょう。

ただ、自分の場合は幸運なことに、周囲にとても心強い友人が何人もいましたので、お陰さまで、内観で変にこじれることもなく、大きく変えることができた、と思っています。

そんな風にして、少しずつ、自分のなかの問題点を見つけ、向き合って、どうしたらいいかを考えていく内に、本当にちょっとずつではありますが、自分のなかの『極端な思考の歪み』が修正されていくようです。
経験上、だいたいの『歪み』は原因を見つけることで、ほぼほぼ良い方向に向かっていくみたいです。


続)
ヒトリゴト(スピリチュアル) | コメント:0 |

青の女神 -β-

さて、前回の続きです。

青の女神 -α-


夢のなかで『青の女神』となっていた自分ですが、そのなかで、ひとつ、とても示唆的なものを感じました。
女神モードで戦闘している時、なぜか急に(こんなに同時にいくつもの魔法を使って、エネルギー的に大丈夫だっけ?)と、不安になった瞬間があったんです。
その途端、女神モードとはまた別の自分(従来の自分)が分離して、ひとつの体のなかに、ふたりの自分がいるような違和感を感じたのです。
その後、ラスボスとの戦闘で、劣勢となってしまったのは言うまでもありません。

目が覚めて、そのことを思い出し、

不安というのは、こんなにも強い分離感を生じさせるものなのか

と、思ったんですよ。

自分の『神性』と分離したことで、本来持っている自分のちからを出し切れなくなってしまったんでしょうけど、日常生活ではあんなにはっきりとした分離感はもちろん、その後の展開との因果関係など、明確にわかるはずもありませんが、夢で疑似体験をしたことで、いかに普段、気軽に(?)不安を感じて、本来の力を出せなくさせているか、についても、考えさせられました。

不安という感情が持つちからは、本当に見過ごせないほど、大きなちからなのかもしれません。
不安や心配という感情は、防衛本能のなごりである、というような話を聞いたことがありますので、そうすると、私たちが自分の命を守るために元々備えている機能ですから、ある程度は仕方のないことだと思います。
でも、必要以上に不安や心配が隆起しまうのは、逆に、生き辛くさせてしまうんでしょうね。
そこのバランスを取るのが、ポイントなんだろうな、と思います。


さて、その後、自分のガイドから、その『青の女神』と呼ばれる存在について、

ざっくりと言えば、自分の女性性の部分と男性性の部分とが、ある程度、自分のカルマ的なものを清算した状態で統合した姿(イメージ)である

というようなことを教わりました。

また、『女神』という名称はついていますが、それは私が神である、ということではなく、誰でも自分の魂の階層を上がっていけば、『神』と呼ばれる存在に繋がっていく、という話でありますので、自分がほかの誰かと比べて特別な存在である、ということではありません。
誰もが、ひとりひとり、スペシャルな存在ではありますが、それは比較対象をもってしての『特別』ということではない、というのと同じ意味合いです。


そして、その夢を見た直後、実父が病に倒れまして、非常にドタバタとした日々が約ひと月ほど続くことになるのですが、この時、実際の生活のなかで、この『青の女神モード』を体験させられました。

父が病院に運ばれた当初、『最悪の事態は覚悟しておいてください』と告げられました。
でも、取り乱すこともなく、自分のなかでは始終、冷静に判断し、動けていました。

たぶん、こういう逼迫した状況を経験された方でしたら、思い当たると思うんです。
なんというか、いわゆる『火事場の馬鹿力』ってやつなんでしょう。(いい言葉が見つからないw
たぶん、意識的にも通常モードではなく、非常事態モードに入っていたんだと思います。

あのひと月、お見舞いやら所用やらで、車を運転した方が有利に動ける、ということで、15年振りにハンドルを握ったんですよ。
15年間ペーパーだった人間が、ひと月の間、ほぼ毎日30km近くを運転したんですが、ほんとに非常事態です(自分のなかでw
普段なら、絶対にやりませんw
軽自動車なのでまだ助かりましたけど、やればできるもんだなぁと、妙に感心しました。

お陰様で、その後、父も無事退院しまして、現在は通常運行でございますが、あの時の自分は、今でも『青の女神モード』だったよなぁと思うんです。
取り乱すことなく、状況を読んで判断し、最善に近い行動をとる。

しかし、そのモードのままでは、たぶん、日常生活を送るには不向きなんでしょうね。
秋~冬にかけて、ちょっと体調崩すことが増え、精神的に不安定になることが増えたり、人生(ほぼ)初のインフルに罹患したりなど、さすがに疲れが出たんでしょう。

でも、自分のなかに、そういう『非常時にもちゃんと動ける自分』がいる、という自信が持てたのは、とても大きな収穫でした。
恒常的にその自分でいることは難しいですし、おそらく、その必要性はないのだと思うんですが、それでも、緊急時に的確に判断し、行動できるだけの自分がいる、と思えるのは、自分としても非常に心強いことだ、と感じています。


人間、誰しも『神性』を有していると思います。
ですが、通常の状態では、なかなかその『神性』の部分を表に出すことは難しいのだと思います。

『神性』にアクセスできる意識状態というのが、いわゆる変性意識だと思うのですが、文字通り、通常の意識状態ではないわけです。
なぜ、その意識モードとの切り替えをしなければいけないのか、正確なことはわかりません。
わかりませんけど、通常の状態ではアクセスできない、ということは、逆をいえば、アクセスしっぱなしにしなくてもいい、とも言えるのではないか、とも思うんです。

でも、人として生きていくなかで、どうしても通常モードでは、乗り越えられない場面に遭遇することもあります。
そんな時に、普段は眠らせている能力を呼び覚まして使えれば、上手に乗り越えられる…かもしれません。
そのためには、ある程度、その変性意識へのスイッチングが、意識的にできるようになっていた方がいいんでしょうね。
どうやったら、切り替えれらるのか。
また、どういう状態になったら、変性意識状態に入っていると分かるのか。

そこは、やはり日々の積み重ねなんだと思います。
でも、コツがつかめれば、(あーいま意識状態違うなー)っていうのが、なんとなくでもわかるようになると思います。
わたしの場合、このコツをつかんだきっかけが、以前もブログで紹介しました、運気をあげるためにしていること ~スピリチュアルなお話(中)~の中の、『セルフヒプノ』なんですけどね。


続)
ヒトリゴト(スピリチュアル) | コメント:0 |

青の女神 -α-

青の女神



ちょっと前の話ですが、モノツクラーのご友人さまから、ひとつの作品をいただきました。

元は、別の作品のリペアをお願いしていたのですが、そちらのお直しが完了して、再度お送りいただいた中に、オマケ的にくださった作品でした。
でも、それを見た瞬間、自分のなかの、あるイメージとぴったり重なりまして、びっくりするやら嬉しいやらで、しばらく手のひらに乗せて眺めておりました。


去年の夏頃でしたか、ある晩、中二的な夢を見たんです。

夢のなかのわたしは、女魔法使いで、たくさんの敵に囲まれて戦っておりましたw
10人くらいの敵に対して、次々と、すべて魔法で応戦し、敵を殺さずに動けない程度のダメージを与えていくんですが、でも、まったく余裕だったんです。
応戦してる最中も、ずーっと微笑を浮かべて、命のやりとりをしている割に、ものすごく冷静かつ、的確に状況を判断して動いておりました。

その内に、ラスボス的なのが出てきて、『貴様、青の女神か!』と叫びながら、私に向かって、大きな魔力を放ってきたんですが、その瞬間、自分の姿がガラリと変わって、自分の髪や肌だけでなく、着ているものまで、全部、青っぽく変化したんです。
もちろん、自分に放たれた魔力は相殺して、無傷でした。

目が覚めて、(なんつーイタイ夢を見たんだ、自分…)と、眉間を抑えましたけども、その夢のなかの自分の『感覚』がとても生々しかったんですよ。

たくさんの敵と対峙してる時の、自分の内側から溢れ出てくる絶対的な『自信』と、複数の敵を殺さず、動けなくさせるだけの『余裕』がとてもリアルで、(こんな精神が常に保ててたら、ガチで最強なんじゃ?)と、ぼんやりした頭で思ったんです。

普通に『夢』でしたので、夢のなかの自分はまさに『現実の自分』と同じ、リアルさを伴っていましたし、戦闘中ですから、一歩間違えば、死に至る場面であるのは間違いなかったです。
それでも、ものすごく『平静』だったんですよね、夢のなかの自分は。

本当にリアルでの話だったら、絶対にそんな状況で平静ではいられません。
間違いなく、なにもしない内に、即死してるでしょう。
でも、夢のなかの自分は、一切、そんな恐怖も不安もなく、ただただ淡々と目の前の現実を捌いていくのみ。
それは、普段、感情優位ですぐにグラグラと揺れる自分と、真逆の存在と言っていい状態でした。


ご友人さまから送っていただいた作品は、自分のなかで、その『青の女神』のイメージを彷彿とさせたんです。
作品は『3対の翼を高く広げた姿(三翼女神)』をしていますが、夢のなかの『青の女神』には、翼は見当たりませんでした。
でも、これは確かに、自分にとって『青の女神』の似姿(イメージ)であると感じたんです。

その夢の話は、別の友人にしかしていないので、作者であるご友人さまはそのことはご存じではありません。
なので、非常に不躾であるとは思ったのですが、お礼とともに、その女神のお話を、ほんの少しだけさせていただいたんです。
寛大な方ですので、そんなこちらの勝手なイメージの話をしても、ごくごく普通に受け止め、こちらの気持ちを大切にしてくださいました。
ありがたいことでございます。


あまりうまい表現ができないのが、非常に悔しいのですが、ただ『うつくしいな』と感じます。
ご友人さまの作品は、どれも本当に緻密で素敵なものが多いです。
どれについても言えるのですが、華美ではなく、とてもシンプルで、
そうであるが故に、ワイヤーの動き(形というには、あまりに三次元的なんですよ)とか、配置などの絶妙さがわかります。
画像は撮影者の腕(つまりは私の腕)が壊滅的なので、本物の素敵さを表現しきれていませんが(汗
まるで、空の星や月を見上げて、きれいだなぁと感じるのと同じくらい、自然に、素敵だなぁと感じるんです。

"Simple" is "best".

そんな言葉がまさにぴったりの作品を作られる方だと思います。
シンプル。
だけど、精巧。


そんな『青の女神』から、半年強をかけて集まってきた情報から得た、自分なりの気づきを、これからつらつらと書いて行こうと思います。
よろしければ、お付き合いくださいませ。
ヒトリゴト(スピリチュアル) | コメント:0 |

運気をあげるためにしていること ~スピリチュアルなお話(後)~

ここからは少しカラーが変わって、わたしのスピリチュアルに対する姿勢やら、考え方やら、過去のことがメインのお話になります。

運気をあげるためにしていること ~スピリチュアルなお話(前)~
運気をあげるためにしていること ~スピリチュアルなお話(中)~

周囲の目にどう映っているかはわかりませんが、わたしはスピリチュアルという世界は嫌いではありませんし、どちらかというと、好きなジャンル(?)ではあります。
元々、そういう現実以外の世界との接触もあったため、信じる信じないだけで言えば、確実に信じてはいるのですが、でも、相対する時は非常に慎重になります。
特に、他者がいる場合は。
基本的には、見えない世界のこととか、ガイドのことなどは、ここ2、3年ほどは特に、仲の良い友人と言えどあまり話題をシェアしなくなりました。
や、そういう話が嫌いなわけじゃないですし、話はしますよ。
しますけど、自分のなかである程度のオチがついてから話すというパターンに変わりましたね。

スピリチュアルの世界そのものが、というよりも、その世界寄りの人たちとの交流のなかで、リアルだけの人間関係では起きなかったのではないかと思うような、様々な経験もした上で、不信感を持っている部分は否めません。
直接的な被害があることも、ないこともありました。
例え、相手と、今生での縁がすでに切れてしまっていたとしても、過去にあったことは消せませんし、相手のしたことも、自分のしたことにも、思うところが未だにたくさんあります。

そんな中で、自分がひとつだけ肝に銘じているのが、【目に見えない世界のことを扱う怖さ】です。
スピ系のブログをサーフィンしていて、似たような経験をされている方や、もっと大変な目に遭われている方など、実際ほんとに嫌な思いをされた方もたくさんいらっしゃるようですが、共通して感じるのは、【目に見えない世界だからこそ、その人の人格が浮き彫りになる】んじゃないか、ということです。
私もあまり人のことは言えないのですが、でも、その人がスピリチュアルという世界のなかで展開していることというのは、おそらく本人が思う以上に、その人の現世での本質が反映されているのだと思います。

だからこそ、私は私の世界にひとり、深く潜っていって(ガイドや前世?でのことなど)、見つけたことを、今生の自分にフィードバックさせて、地道に自己改革をしてきました。
ごく一部の友人に話すこともありましたが、見えたものなどを共有することはあまりありません。
その友人とは、同じものを見ていることがあまりなかったこともあるのですが、共有しているだろう友人たちにも、話すことはほとんどなくなりました。
色んな意味で怖かったのもありますが、自分自身が人に流されやすい部分を持っているのもあって、自分の感覚を大切にしたかったために、話さなかったことも多かったです。


わたしがスピリチュアルの世界に本格的に足を突っ込みだしたのは、5、6年くらい前でしょうかね。
元々は自己啓発からの流れでたどり着いたんですが、現在、比率は半々でしょうか。

大きなきっかけとなったのは、すでに故人となられましたが、経営コンサルタントの舩井幸雄氏の存在でした。
今から10年ほど前でしょうかね。
当時、経済からスピリチュアルまで、舩井氏の出される本はほぼほぼ購読しておりました。
経営コンサルタントという現実的なお仕事をされる傍らで、非現実的なスピリチュアルの世界にも精通されており、またその豊富な人脈から、さまざまな人財を発掘されてきた方です。
なにより、とても素敵なお顔をされていましたのが、印象的でした。
今でも、スピリチュアルや占い系の方で、なによりチェックするのは【顔】です。

もちろん、造作の美醜じゃないですよw
なんていうか、わかる人にはわかっていただけるとは思うのですが、やっぱり【顔】に出てると思うんです。
好みがどうとかっていうことではなくて、雰囲気というか、なんというか…
あとは文章ですかね。

一見、綺麗でやさしい言葉でつづられている文章でも、よくよく読んでいると、どこか引っかかる時ってあると思います。
どちらかというと、私自身、文章表現の方がまだ得意な部分もあるからなのかもしれませんが、表向きだけの文章というのは、やはり読んでてすごく違和感あるんですよ。
文章の上手い下手とはまた違う、なんていうか、(うん?)と思うことがあったりするんですよね。
逆に、お世辞にも読みやすいとは言えない文章であっても、通じるもの、伝わる人もいらっしゃいますし。
もちろん、私の文章の読み取り違いもたくさんありますから、一概には言えないですし、整合性のなさだけがイコールで虚飾だというわけではないんです。
ないんですけど、その人のいくつかの文章をよーく読んでいくと、ある程度、見えてくるものがあるんですよね。

以前ツイッターで回ってきたツイートで、そうだよなぁと深く頷いたんですが(元ツイートを探せませんでしたすみません)、
何らかの絵にしろ、文章にしろ、音楽にしろ、舞台にしろ、ドラマにしろ、すべての【作品】は、作者のほんの一部分、もしくはほんの一面の表出でしかない、ということ。

また、昨日、RTで回ってきたんですが、この一連のツイートもそうだなぁと思うんです。







虚飾を責める気はありません。
このアイドル云々の話はまた別として、私も含めて、意識的にはそんなつもりがないことなんてはいくらでもありますし、人間である以上、欲に属する嫌な面というのはあって当然だとは思います。
でも、そこにちゃんと向き合おうとしてるかしてないか、少しでもそういう姿勢を持てる人じゃないと、私はちょっとコワイなぁと思ってしまうんです。
や、これって実際にはすごく難しいことで、自分もできていないことがあるのはわかっているんです。
でも、現実の自分とスピの自分との間に大きな差異がある、というのは、現実の世界だけで生きている人よりも、うんと危険な存在になることもあるんだ、ということは、間違いなく言えることだと思うんですよね。

ネットでの【炎上】なんかもそうですよね。
炎上させる人もその対象となった人も、普段から過激な言動をしてるのかというとそういうことでもなくて(たまにそのままの人もいるみたいですけど)、すごく普通の人も多いと聞きます。
でも、炎上するとものすごい勢いで燃え広がることってありますよね。
スピリチュアルな世界に留まらず、【目に見えない部分】と、【目に見えている部分】との差異が大きければ大きいほど、その人のなかにある本質的なものがものすごく浮き彫りにされる気がするんですよ。
歪(いびつ)だなって。

スピの世界との付き合い方が未だに、自分のなかでよくわからないので、そういう世界での関わりについては、他者との間にかなり遠くに一線引いてしまってから、さじ加減がわからなくなってしまってる部分はあります。
前述しましたが、わたしも一応エンジェルリンクは伝授済みなので、人に伝授することは可能なのですが、するつもりはありません。
また、人さまへのヒーリングというのも、私はほとんどしません。
それは、家族であってもです。
そこには自分なりの考えがあるためなのですが、悩ましいところなんですよね。

仲の良い友人からもよく、【リアルとスピはどちらかに偏ることなく、上手に両方のバランスを取っていくのが一番いいと思う】というアドバイスをもらうのですが、はっきりいって難しいですw
とはいえ、自分ひとりのことについては、とてもスピリチュアルなんですよ。
自分だけのことなら、どうとでも責任が取れますしね。
失敗しても、痛い目見るのも自分だけですし。


さてさて、随分と話を膨らませ過ぎたので、どういうオチをつけようか悩ましいところなんですがw

えーと、そうそう【運】の話でしたねw
運をつかみたいのなら、運の流れを掴むのも大事ですが、受け皿となる【自分自身】の調整もとても大事になってくると思います。
心身ともに。
それこそ、せっかく大きな運がやってきても、大椎がこそばゆくてたまらないくらいしか受け取れないようでは、本末転倒ですしww

運気アップのアイテムや方法は様々ありますが、まずは土台である自分自身の見直しをオススメします。
風水でも確か、掃除が基本ていいますもんね。
汚い部屋に開運グッズ置いても意味ないとか言いますしw

あ、そうそう、最近はトイレ掃除を毎朝するようにしてます。
朝起きて、上から下までさささーとひと拭き。
気分的にも違いますね^^

今やっていることが、どんな風に現実に反映されるのかはわかりませんが、とりあえず続けられているっていうことは、自分がいい気分になってるっていうことでもあるので、それだけでも良しとしようかな、とも思ってますw
まぁ、マイペースに行きます~。

運気をあげる方法、なにかご存じの方はぜひぜひシェアしてくださいませ~。


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