月のヒトリゴト

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青の女神 -δ-

すばる



前回からの続きです。

青の女神 -α-
青の女神 -β-
青の女神 -γ-


私は、小さい頃からいわゆる、じゃじゃ馬(死語)でして、男の子ともよくケンカしました。
男勝りで、負けず嫌いで、(男なんて)と、心のどこかでいつもバカにしているような女の子でした。

ですので、大人になってから、女性性・男性性の概念を知った時に、まず自分は、

男性性が強くて、女性性が弱いのだろうな

と思っていたんです。
ところが、内観を始めて、自分の内面を客観視していく内に、そうじゃないことに気が付きました。

私は逆に、女性性が過剰で、男性性が未成熟なんじゃないだろうか。

そう思い始めたんです。
もちろん、実際にそれが正しいかどうかはわかりません。
ですが、おそらく、この見当に間違いない、と今でも思っています。

女性性が過剰だと、ものすごく女性的(いわゆるか弱い感じ?)になるような気がしますが、わたしの場合は、そうではありませんでした。
いえ、根っこの部分では、男性に対する強い恐怖心を抱いてはいましたので、そういう意味では、か弱い部分もあったかもしれません。
しかし、それを表に出すことはできなかったんです。

そして、自分の中の男性性がうまく育っていなかったのを、女性性がカバーするように肥大した結果、いわゆるアマゾネスのような感じになってしまっていたのではないか、と自分では思っています。
もちろん、単純に『女性性が過剰だからこう』というわけではなく、バックグラウンドには色んな要素が絡まり合って…の結果ではあります。
あるんですが、両性のバランスを見て、状態を言い表すのであれば、そんな感じじゃないか、と思います。

ですので、私は、昔から、人(特に男性)に頼るのが、とても難しかったし、苦痛だったのです。
例えば、力のいる仕事であっても、ほとんど人には頼りませんでした。
(あ、もちろん中には率先して手伝ってくれる人はいましたので、そういう時はありがとうと言ってやってもらいましたけど、自分から手伝ってとはほとんど言いませんでした、というか、言えませんでしたw)
元々、体格に恵まれておりましたので、大概の力仕事は自分でできました。
学生時代の体力測定では、女子の平均は常に越えてましたし、項目によっては男子平均に近いものもありましたのでねw

頼る、というと女性性の管轄な感じがしますが、私は自分のなかの男性性が未熟で頼れなかったのと、女性性が男性性の分までカバーしていたっぽいので、内的世界が外の世界にも反映されていたのではないか、と推測しています。

男性(性)が未熟だから、頼ることができない。

無意識にそう思っていたんじゃないか、と思います。

出てきた過去生も、女性が多かったのですが、どれも勝気で沸点が低く、猪突猛進・自滅型の生でした。
そばには常に守ってくれる存在がいたのですが、気づくこともできませんでしたしね。

しかし、ありがたいことに、今生で、友人やガイドの非常に手厚い協力を得られまして、少しずつ、少しずつ、自分の思考の歪みを解きほぐしていくことができました。
まだまだ、未熟なところや、傷が癒せていない部分はもちろんあるのですが、それでも、周囲から『変わったね』と言ってもらえるくらいには、変われたのだと思います。
また、自分自身でも、明らかに変わったなと感じます。
視点や視座、そして考え方は、本当に変わったんではないでしょうかね。(ちょっと不安w
友人から以前、指摘されたこともあるのですが、どうも、昔と比べて文章のスタイルも変わっているようです。

とはいえ、まだ感情優位で沸点低い(たぶんこれは一生変わらないw)んですけども、感情に任せて行動しないような冷静さを、ある程度、保てるようにはなってきてると思います。
もちろん、今でも失敗はいくらでもありますw

バランスするっていうのは、中庸にまで持っていくってことじゃないのかもしれません。
凸凹をきれいに均すことが、バランスがいいということじゃないのかも。
わたしは、自分が感情優位で、平常時でも感情基準で動いている自覚はあるのですが、それはそれでいいか、と最近は思うようになりました。
ただ、激情に任せて動く、ということをしなければ、それでいいのかも、と思います。
自分が感情の海でばしゃばしゃする、というのは、個性でもあるんだろうな、と。
大時化でなにもかもをうねりに飲み込んで、破壊するような状態はいけません。
でも、多少の高波であれば、むしろ、サーファーには喜ばれますしね(どんな例えw

なにごとも、行き過ぎなければいいのかもなぁ…。

女性性の頑張りを少し緩めて、男性性の成長を促すようなやり方を、リアルとスピの両方からのアプローチで進めていくことで、自分のなかで、少しずつバランスが取れるようになってきたのだと思います。
客観視というのは、男性性の管轄だと思うので、内観そのものが、男性性の育成にもなっていたのかなぁとも思いました。

なんにしても、極端になっていた自分の両性のバランスを少しずつ取り戻していくことで、だんだん自分が楽になってくるのだなぁ、というのを実感し続けた5年でした。

また、自分でも具体的な目標やカタチの見えないまま、ひたすら、自分の性格を変えたい、という一心で突き進んできた5年でもあると思います。


さて、長くなっておりますが、次回で最後です。
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