月のヒトリゴト

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豊川稲荷さんへ

昨年末辺りに、ちいさい狐さんが遊びに来た夢を見て以来、それまでは怖くてあまり訪れたことのなかった、お稲荷さんへお参りに訪れるようになりました。
祖母が、お稲荷さんに足繁く通っていたこともあって、まずはと、そちらの分院へ参拝に行ってきたのが、昨年の12月末だったんですが、やはりいつかは豊川稲荷さんへ行ってこよう、と心に誓って、幾星霜(違
2月にやっと、行ってまいりました。

とはいえ、一応過去に、2、3度ほど参拝には行っているんです。
でも、自らすすんでっていうのは今回が初めて。

前々日くらいに、友人に『豊川稲荷へ行くかも』という連絡をしたら、割とあっさり一緒に行ってくれる旨のレスをくれたので、じゃあよろしく!ってことで、たみえ氏ご家族と一緒に境内をまわらせていただきました。

過去に行ったときは、正月三が日だったので、電車も満員、駅も満員、門前町も人、人、人でそのまま神社まで行列が続いているような状態でした。
が、今回訪れた時は、通常の土曜日で、朝10:00に待ち合わせたので、人もまばらでスイスイ楽勝。
お店もほとんどシャッター閉まってるような状態でしたね。

豊川稲荷さんはちょっと変わった(?)ところで、ここは神社とお寺が同居しています。
神仏分離を上手に免れたお寺さん(神社さん?)なので、鳥居と山門がおなじ敷地内にあるんですよねー。
不思議なもんです。

豊川稲荷

わたしは豊川稲荷さんへは、今までも本殿への参拝のみだったのですが、たみえ氏ご家族は逆に本殿にはあまり来たことがなかったようで、さすが地元民なだけあって、奥の院と霊狐塚など、敷地の奥の方を案内してくれました。

途中にある、大黒堂の大黒天さまの石像は、みんなが触りすぎて太鼓腹に大穴あいてましたしねww
あれはビックリしたww
手で触られ続けただけで、石がここまでえぐられるの?!っていうくらい、ボコーン!と凹んでますw
いやはや…@@;

境内の最奥辺りになるのでしょうか、『霊狐塚』というところがあるのですが、ここはちょっとすごかったですね。
ここに行くってなった時に、正直、(うーん…どうしようかなぁ)とは思ったんですが、まぁ、今の自分ならなにか拾ってくるとかは昔ほどないだろうし、豊川吒枳尼真天へのご挨拶(参拝)は済ませた後だから、よほど大丈夫だろうと思って、ついて行きました。

でもね、みんな、スイスイ行っちゃうんですけど、わたしだけ途中で足が止まっちゃったんですよ。
霊狐塚のほんとに手前で、なんていうか、エア遊具が目の前にあるような、ぽよーんとした弾力を感じて、(うーん…)と立ち止まってしまったんです。

拒絶されているのか、もしくは、自分のガイドが引き留めているのか、本能的にヤバイと感じているのか…

立ち止まって色々と感じ取ろうとしますが、どれも当てはまらなさそう。
一番近いのは、『人の念の濃さ』なんだろうなーと。
まぁ、商売繁盛の神様ですしね。

ガードについては、うちのガイドに任せまして、さて、一歩踏み入れてみます。

感覚としては、流れるプールの中を、流れに逆らって歩いているような、もしくは、粘性の高い液体のなかを歩いているような、ちょっと強めの抵抗を感じました。
なんとなーく、ねっとりとした雰囲気が、体にまとわりついてくるような感じです。
感覚的には、嫌だなぁとか、コワイなぁとかはないんですけどね。

お参りだけして、さささーと戻りましたが、正直、(豊川さんに来ても、もうここはいいや~)と思いました。
相性もありますから、私には合わないのだろうというだけの話ですけどね。

その後も境内をふらふらと散策しながら、再び、総門に戻ってきます。


さて、食いしん坊はここからがお楽しみ←
総門にほど近いところに居を構えられております、『おきつね本舗』さん
ここには、豊川市が誇るB級グルメ『おきつねバーガー』が!
豊川稲荷さんへの参拝はもちろんですが、今回はこの『おきつねバーガー』も楽しみのひとつにしておったのです。

カリッと揚げた油揚げをバンズ代わりに、とんかつとレタスとたまねぎをケチャップタレでまとめます。
これがまたうまいんだ!
3つは普通にいけると思う。
ほんと、ほんと。

あとは、商店街を巡ります。(私はついてゆくだけでしたがw)
おみやげもの屋さんとか、食事処とかたくさんあって、もちろん、多種多様な稲荷寿司も!
おいしそうだなぁ…とか思いながら、ふらふらします。
ここでね、おだんごとお茶をいただいたのですよ~。

さらに、帰り道に屋台でお団子出してるお店で、串団子をひとつずつ買って帰って、たみえ氏のおうちで食べましたのww

買い食いをたくさんしたので、小食組(たみえさんと娘ちゃん)はきっとお腹いっぱいだったと思うんだけど、男性陣とわたしは普通に食べられるくらいには、お腹に空きがあったので、遅めのランチに連れて行ってもらいました。
たみえさんがメニューに掲載する写真撮影をされた、例のお店です。

アグレッシブじゃない人生でもいいじゃないの。

私はカレードリアを頼んだのですが、おいしかったです~。
てか、ほんとによく食べるな…(自分で


大きい神社の、きちんと祀られているお稲荷さんは、親から聞かされるほど怖い存在ではない、というのがよくわかって、お稲荷さんに対する偏見が薄れました。
まぁ、2013年に『よろず占い処 陰陽屋へようこそ』というドラマで、錦戸さんが主演を務めていた時に、王子稲荷神社へ行ってますけどねw

次は、伏見稲荷さんかなぁ。
行けたらいいなぁ。
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渋谷すばる LIVE TOUR 2016 歌

ZEPP NAGOYA すばる


過去に書き溜めていたものを仕上げておりますww

2/19に行ってまいりました。
今回はひとりでの参加でございます。
初ひとり映画も、初ひとりライブハウスも、なぜか全部、渋谷さんな黄色担当です←

渋谷すばる LIVE TOUR 2016 歌

昨年は落選したのですが、今回のライブツアーは応募条件がかなり厳しくなっており、エイトのファンクラブ会員限定(同伴者も)、顔認証導入、ひとり1公演のみ(同伴も含めて)の応募、ということで、倍率はかなり下がっていると思います。
が。
それでも、やっぱり行けなかった人もたくさんみえますので、運がよかったと思います。

ありがとう、すばるくん!

さて、セトリおよびライブレポについてはこちらで↓
http://infoeighter.blog.fc2.com/blog-entry-3504.html


私は、ライブハウスはあまり経験ない人なので、事前にめっちゃ調べまくって、マイナーバンドが好きで、津々浦々に遠征している友達にアドバイスもらったりして、ものすごくシミュレートしました。
おかげさまで、全体を通していい感じで参加できました。

私は元々大きな音がちょっと苦手で、正直言いますと、エイトのコンサートで、ドーム級の広さでもたまに耳を塞ぎたくなることがあります。
なので、ライブハウスのあのギャンギャンした音に耐えられるのだろうか、という一抹の不安があり、ほんとは極力前の方に行きたかったけど、真ん中よりは後方にいた方がいいだろうなーと思っておりました。
整理番号も600番台だったので、普通に入っても、真ん中よりはちょっと前寄りくらいにつけられるかなぁ、というところだったので、ちょうどよかったかもしれません。
そして、実際、狙い通りの場所(縦横ほぼ真ん中あたり)に陣取りました。

私は、関ジャニ∞では錦戸くんが一番好きで、歌声が一番好きなのは丸山くんなんですけどが、渋谷さんの歌はやっぱり『特別』なんです。
この人の歌が聞きたいから、あんまりハツモノが好きじゃない私ですが、ひとりでも行く覚悟ができるんですよ。
それくらい、なんていうか、特別だと思える歌を歌う人です、彼は。


そのコメントが載っていた媒体がなんだったかは忘れたのですが、渋谷さんが、あるアーティストのCDを聞いてライブに行ったら、全然CD通りじゃなくてがっかりした的なことを言ってて、それはすごくわかるなーと思ったんです。
もちろん、渋谷さんだって音外れる時もありますし、完璧にCD通りかって言ったら、そうじゃないですけど、でも、いい意味でCD通りじゃないからこそ、心震える時もありますしね。
そんな歌を聞かせてくれる人だと思います。

昨年、彼が主演した映画の主題歌でもあり、彼のソロデビュー曲である『記憶』が個人的にすごく好きで、普段からよく聞くんですけど、渋谷さんって、すごく“重たい感情”を歌わせたら右に出る人はいないんじゃないか、って思うんですよ。
この『記憶』という曲は、絶望という泥にまみれてゴミのように生きた男が、それでも、わずかながらの消えそうな光を捨てられず、握りしめたまま、這いずって生きていく、というようなイメージがあるんですよね。
まぁ、映画の内容とリンクしてると思うので、そういう風に思うのかもしれませんけどもw
でも、そのイメージが、歌を聞いているとアリアリと浮かんでくるんです。
渋谷すばる、という存在が、本当にはまったく違う人間であったとしても、まるで本当にそんな人間のように感じられる、というか。

同じように、ライブの終盤に歌った、『君がいないから(安全地帯)』『言葉にできない(小田和正)』の2曲は続きで歌ったんですけど、強烈にその歌の世界に引き込まれました。
もちろん、オリジナルもすごく素敵だと思うのですが、これは渋谷すばるの『君がいないから』であり、渋谷すばるの『言葉にできない』だったと思います。

歌ってる姿を目に焼き付けたいのに、涙が溢れて、溢れて、どうにも止まらず、次第に嗚咽まで出てしまいました。
タオルで口元を覆って、何度も顔を歪ませながら、ぼやける視界をなんとか整えつつ、ピンスポットに照らされて歌う渋谷さんを見つめてました。
それが精一杯。

耳から伝わる、というよりは、本当に胸に直接響いて突き刺さるような歌を聞きながら、スポットライトを浴びて切々と歌い上げる渋谷さんを見て、憑依型の役者とおんなじかも、とふと思いました。
彼は、歌い手ですが、同時にその歌の世界を表現する役者でもあって、なんていうか、まさにその世界そのものを『降ろしている』という感覚に襲われたんです。
その、鬼気迫る様相というか、この人は今後どうなってしまうんだろう?という命の危うさすらも感じて、急に(怖い)と思ったんです。
まさに、命がけで歌と向き合って、歌っているんだなって。


彼は、すごく言葉を大切に思っていて、色んな意味で『嘘』がつけないんだろうな、と思います。
ものすっごく不器用で、まっすぐにしか歩いて行かれない人。
迂回した方がいい、と人に言われて、そうした方がいいんだろうと思っても、どうしていいかわからなくて、立ち止まってしまうような人。
そして、立ち止まると、たぶん、ものすごく長い。
顔立ちがキリッとしているのでアレですが、ものすごく繊細なんです。
わたしはエイター暦はまだまだ浅いので、こんなこと言うのもおこがましいのですが、それでも、デビューする前から色々と悩んでいたのではないかと思います。
彼は、ものすごくゆっくりしか歩けなくて、でも、周囲の流れが速くて、そのギャップにすごく戸惑っていた時間が長かったんじゃないだろうか、と。
でも、ここ最近の渋谷さんを見ていると、ホッとすることが増えたんですよね。
落ち着いてこれたんだろうなぁって。

だけど、歌を歌っている時には、たまに怖くなります。
存在そのものが不安定に感じる、というか、ものすごく尖ってるのに、儚くてちょっと間違えると、脆く飛散して消えてしまいそうに感じるんですよ。

ヒーラーさんや霊能力者など、“あちら”の世界との繋がりの強い人が、どうしてもちょっと『地に足のつかないところが普通の人より強い』と感じるのと、似たような印象を受けるんです。
それもまた、カリスマというか、そういうものに繋がっていくのでしょうけど…


今日は、相撲の聖地と言われる両国国技館での、2daysの最終日。
そして、奇しくも(?)、このツアーのファイナルになります。(時間的に真っ最中ですね。

実はこの記事、2月にはすでに8割ほど書いていたのですが、そこからどうしても書けなくなって放置してましたww
ですが、ここへ来てなぜか、急に『よし、書いてしまおう!』と思って続きを書き出したのですが、ふとツアースケジュールを見て、(今日がオーラスじゃん!)と気づいた次第でございますww(しかも、昨日、錦戸氏が観覧してた?!きゃー)


渋谷すばるのすべてをさらけ出して、このファイナルを、文字通り、全身全霊で歌い上げるんだろうなぁ。
いいなぁ…聞きたいなぁ。
どうか、また来年も行けますように!!(拝
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考え方

先月だったか、夕食時に珍しくリアルタイムのTV番組を見てましたところ、たまたま、“偉人と呼ばれる人たちが影響された偉人”を紹介する、というようなことをやってまして、ちょこっと見ていたんです。

その中で、iPs細胞でノーベル生理学・医学賞を受賞された山中伸弥教授が、ご自身が影響を受けた偉人を紹介されておりました。
その方は、ノーベル生理学・医学賞を受賞された、利根川進先生です。

その時のおふたりのエピソードについて、詳しくはこちらの記事に載っています。
人間力.COM


今の日本も、研究の分野だけではなく、色んな場面で、まだまだ、ひとつのことにしっかりと腰を据えてやっていくことが評価される、または、継続性が重視されることって多いと思うのです。

ひと昔前に比べれば随分と変わりましたが、一般社会においても、転職回数が多いと、敬遠される会社は未だに相当数あると思います。

もちろん、ひとつのことを一生懸命コツコツとやっていくことは、とても大切だと思います。
実際、『継続は力なり』という格言の通り、続けていくことの大切さというのは、多くのことに当てはまるでしょう。

ですが、一方で、どうしてもそれが難しい場合もあります。
それが性格的なものになりますと、なおさら、『根気がない』『飽き性』『注意力散漫』などというレッテルを貼られてしまい、どうしても好意的には受け取られにくいです。
性格的な部分はコントロールできる、と意識的にも、無意識的にも思っている人は多いと思うのですが、もちろん、意識的に修正していけるものもあるでしょうけれど、これもある種の『個性』とも言える部分だと思うので、みんながみんな、ひとつのことを長期で継続してやれるわけでもないんでしょうね。

山中教授も、そんな風に、研究テーマをコロコロ変えてしまうご自身に、非常に悩まれたのだそうです。
リンク先にもありますが、そんな中で、利根川先生の講演会に参加され、意を決してご質問されたわけですが、利根川先生の言葉によって救われ、その数年後に見事、ノーベル生理学・医学賞を受賞されました。

それを見ていて、なんというか、ほんとに『あぁ、そっかー。そうなんだなー』って素直に思ったんですよね。
わたし自身、なにかひとつのことをコツコツと根気よく続けるのが苦手な性格なので、色々と中途半端なまま、目移りして、また次に興味が移って…ということを結構繰り返しているんですが、自分でも、根気のなさ、意志の弱さなどを痛感しているため、後ろめたさや情けなく思う気持ちはあるんです。
どうやったら続けられるのか、コツがあれば、本気で知りたいくらいです。

でも、利根川先生が仰るように、『重要で、面白いことならなんでもいい』という考え方は、とてもいいなーと思ったんです。
そして、『根気よく、長期的に物事に打ち込める人だけが認められる』という思い込みが、ふっと浮かび上がったんですよね、自分のなかで。

だから、『あぁ、そっかー。そうなんだなー』と思ったんですが、根気よく、ひとつのことに長く打ち込めなくても、コロコロ変わっても、その時の自分が楽しく真剣に取り組んでいれば、それが例えば5個目だって、10個目だって、恥じることなんかないんだなーって思えたんです。

もちろん、ちょっとかじっただけで分かった気になって、次へ…っていうのは、どうかとは思いますけど、でも、やっていく中で、取り組んできたことに対して楽しさを感じなくなってきた、とか、義務感が出てきたことによる苦痛が発生しだしたとか、ソレをすることに対して、マイナス感情がたくさんになってしまったら、いったん離れるなりなんなりしていいんんじゃないか、と思ったんですよ。
例えちょっとの時間でも、真剣に打ち込んだことっていうのは、次に、全然関係のないことに取り組んだとしても、なにかしら生きてくるものがあると思うんです。
決して、意味すらなくなるわけじゃない。

飽き性で根気のない自分を、いつも(嫌だなぁ…)とひそかに思い続けながらも、なかなか変えることができませんでしたが、考え方を変えてもいいのかもしれない、と自然に思えた番組でした。

自分がラクになれるように、ちょっとずつ、ちょっとずつ、変えていこう。
思考も、行動も。
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青の女神 -ε-

青の女神



前回からの続きです。

青の女神 -α-
青の女神 -β-
青の女神 -γ-
青の女神 -δ-


さて、内観を続けていく内に、楽になってきた部分はあるのですが、急に流れが停滞してしまい、全体的になんとなく息苦しいような、そんな状態になってしまいました。
ちょうど、この1年ほどが特に、ですかね。
昨年の初夏あたりに、バーンアウト症候群ではないか、というようなことを自分で言ってたのですが、本当にそんな感じで、急に、目標を見失なってしまって、抜け殻みたいな心境になったのです。

とにかく、変えないと、変わらないと。
でも、それがなんなのかがわからない。
焦燥感だけが日増しに募ってしまい、視野が狭くなってしまっていました。
この停滞している自分の『流れ』は、いったいなんなのか。


他にも悩み事があったので、すがるような思いで、ある占い師の方を訪れました。
いわゆる、霊感占いをされる方でしたが、見ていただきましたところ、現在、運気の流れが人と違っている、と言われましてね。
いわく、『通常の人が1年で流れている運気が、2年ほど周回遅れになっていて、時間が停滞しているような状態』なのだそうで。
でも、今年の誕生日あたりを境に、元のサイクルに戻るようで、今は動き出し始めているところだとか。
今年の誕生日まで、そんなに時間があるわけではないので、元のサイクルに戻るのに、2年分の流れが4ケ月ほどの間に、ぎゅっと圧縮されることになります。
ひと月の間に半年分の流れが一気に流れていく計算になるんで、そりゃ、大変だww
でも、なんで2年も止まってたんだろう(汗

また、その占い師さんにいただいたアドバイスとして、(自分の)回帰図を見るときには、2年前の分から見るといいですよ、と言われましたので、さっそく2013年の分から見直したのですが、確かに、(なるほど!)とうなずけるものがありました。

そして、実は、ご友人さまからいただいた『三翼女神』も、とても面白い象徴を携えていたんです。
作者さまにも確認いただいて、そうだろうとのことでしたが、水晶ポイントに、小さいパストタイムリンクが2つ並んでいるのです。
パストタイムリンクは『過去に繋ぐことができる』のだそうですが、作者さまからは『過去を踏まえてのアドバイスを考えるとき情報支援してくれるのかも』というお言葉をいただいておりまして、占い師さんからのアドバイスとかぶる、かぶるww
しかも、2つのパストタイムリンク…

2年分!?

ただの偶然かもしれませんが、なんか、おおおwと思ったんですよ。


その他にも、わたしは『水に縁の深い』人だと言われまして、(あー、確かにねぇ)と思うようなところもいくつかあります。
沸点低めなのも、きっとそんなところ♪

なので、水回りを特にきれいにしてねーと言われたのですが、以前、トイレ掃除を毎朝するようにしてます、と、このブログでも書きましたけど、お陰さまで習慣になりつつあります。
ちゃんと毎日続いてますよー。
たぶん、基本的に、掃除や洗濯は好きなんだろうなーと思います。
整理整頓は苦手ですけど。

そんな感じで、バラバラとキーワードだけが、1年弱かけて集まってきて、いったいなにを伝えたいのだろう?、とずっと気にはしていたのですが、ここへきてやっと、次の課題に向けての準備だったのかも、と思えるようになってきました。

随分と詰め込みましたので、書いてる自分もまとめきれてない感バリバリにありますがww


『青の女神』は、自分がどうありたいのか、どこを目指したいのか、これまでのがむしゃらだった5年間とはまた違う、ちょっとだけ具体性を纏った次の『指針』として、現れたのではないか、と、今は考えています。
女神という存在になりたい、ということではなく、『女神が表しているような女性』が、自分の無意識化にある『自分自身の理想像』なんだろう、と思います。

それまでの偏った、アンバランスなままの自分では、ぼんやりとしか把握できなかった、自分のハイヤーセルフのような存在を、やっと見つけられた、とも言えるのでしょう。
もちろん、まだまだこれからもながーい道のりが待ち構えてはいるのでしょうけど、でもそれも、自分にはまだまだノビシロがある、ということでもあるでしょうし。

女性性と男性性のバランスがある程度取れるようになり、またその状態がある程度、定着するようになれば、また次の扉が待っているのでしょう。
生きている限りゴールはなく、ただただ進んでゆくのみだと思うので。

今はただ、3対の翼を広げて、悠々とソラ(宇宙)を羽ばたけるよう、手元に来てくれた『三翼女神』とたくさん語り合おうと思います。
『青の女神』は、広義の意味では自分自身ですしね。
これからも、自分との対話を大切にしていこうと思います。


長丁場をここまでお付き合いくださいまして、ありがとうございました。
読んでくださったみなさまに、星からの加護が降り注ぎますように☆
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青の女神 -δ-

すばる



前回からの続きです。

青の女神 -α-
青の女神 -β-
青の女神 -γ-


私は、小さい頃からいわゆる、じゃじゃ馬(死語)でして、男の子ともよくケンカしました。
男勝りで、負けず嫌いで、(男なんて)と、心のどこかでいつもバカにしているような女の子でした。

ですので、大人になってから、女性性・男性性の概念を知った時に、まず自分は、

男性性が強くて、女性性が弱いのだろうな

と思っていたんです。
ところが、内観を始めて、自分の内面を客観視していく内に、そうじゃないことに気が付きました。

私は逆に、女性性が過剰で、男性性が未成熟なんじゃないだろうか。

そう思い始めたんです。
もちろん、実際にそれが正しいかどうかはわかりません。
ですが、おそらく、この見当に間違いない、と今でも思っています。

女性性が過剰だと、ものすごく女性的(いわゆるか弱い感じ?)になるような気がしますが、わたしの場合は、そうではありませんでした。
いえ、根っこの部分では、男性に対する強い恐怖心を抱いてはいましたので、そういう意味では、か弱い部分もあったかもしれません。
しかし、それを表に出すことはできなかったんです。

そして、自分の中の男性性がうまく育っていなかったのを、女性性がカバーするように肥大した結果、いわゆるアマゾネスのような感じになってしまっていたのではないか、と自分では思っています。
もちろん、単純に『女性性が過剰だからこう』というわけではなく、バックグラウンドには色んな要素が絡まり合って…の結果ではあります。
あるんですが、両性のバランスを見て、状態を言い表すのであれば、そんな感じじゃないか、と思います。

ですので、私は、昔から、人(特に男性)に頼るのが、とても難しかったし、苦痛だったのです。
例えば、力のいる仕事であっても、ほとんど人には頼りませんでした。
(あ、もちろん中には率先して手伝ってくれる人はいましたので、そういう時はありがとうと言ってやってもらいましたけど、自分から手伝ってとはほとんど言いませんでした、というか、言えませんでしたw)
元々、体格に恵まれておりましたので、大概の力仕事は自分でできました。
学生時代の体力測定では、女子の平均は常に越えてましたし、項目によっては男子平均に近いものもありましたのでねw

頼る、というと女性性の管轄な感じがしますが、私は自分のなかの男性性が未熟で頼れなかったのと、女性性が男性性の分までカバーしていたっぽいので、内的世界が外の世界にも反映されていたのではないか、と推測しています。

男性(性)が未熟だから、頼ることができない。

無意識にそう思っていたんじゃないか、と思います。

出てきた過去生も、女性が多かったのですが、どれも勝気で沸点が低く、猪突猛進・自滅型の生でした。
そばには常に守ってくれる存在がいたのですが、気づくこともできませんでしたしね。

しかし、ありがたいことに、今生で、友人やガイドの非常に手厚い協力を得られまして、少しずつ、少しずつ、自分の思考の歪みを解きほぐしていくことができました。
まだまだ、未熟なところや、傷が癒せていない部分はもちろんあるのですが、それでも、周囲から『変わったね』と言ってもらえるくらいには、変われたのだと思います。
また、自分自身でも、明らかに変わったなと感じます。
視点や視座、そして考え方は、本当に変わったんではないでしょうかね。(ちょっと不安w
友人から以前、指摘されたこともあるのですが、どうも、昔と比べて文章のスタイルも変わっているようです。

とはいえ、まだ感情優位で沸点低い(たぶんこれは一生変わらないw)んですけども、感情に任せて行動しないような冷静さを、ある程度、保てるようにはなってきてると思います。
もちろん、今でも失敗はいくらでもありますw

バランスするっていうのは、中庸にまで持っていくってことじゃないのかもしれません。
凸凹をきれいに均すことが、バランスがいいということじゃないのかも。
わたしは、自分が感情優位で、平常時でも感情基準で動いている自覚はあるのですが、それはそれでいいか、と最近は思うようになりました。
ただ、激情に任せて動く、ということをしなければ、それでいいのかも、と思います。
自分が感情の海でばしゃばしゃする、というのは、個性でもあるんだろうな、と。
大時化でなにもかもをうねりに飲み込んで、破壊するような状態はいけません。
でも、多少の高波であれば、むしろ、サーファーには喜ばれますしね(どんな例えw

なにごとも、行き過ぎなければいいのかもなぁ…。

女性性の頑張りを少し緩めて、男性性の成長を促すようなやり方を、リアルとスピの両方からのアプローチで進めていくことで、自分のなかで、少しずつバランスが取れるようになってきたのだと思います。
客観視というのは、男性性の管轄だと思うので、内観そのものが、男性性の育成にもなっていたのかなぁとも思いました。

なんにしても、極端になっていた自分の両性のバランスを少しずつ取り戻していくことで、だんだん自分が楽になってくるのだなぁ、というのを実感し続けた5年でした。

また、自分でも具体的な目標やカタチの見えないまま、ひたすら、自分の性格を変えたい、という一心で突き進んできた5年でもあると思います。


さて、長くなっておりますが、次回で最後です。
ヒトリゴト(スピリチュアル) | コメント:0 |

青の女神 -γ-

前回からの続きです。

青の女神 -α-
青の女神 -β-


さて、ちょっと話が逸れますが、昨年の夏あたりから、生年月日などの占いで、自分の守護女神を教えてもらう機会がちょくちょくありまして、占い好きなものですから、いくつか見てもらいました。
そのなかで、よく出てくるキーワードが『知恵・正義の女神』だったんです。
有名どころでは、ギリシャ神話の『アテナ』ですかね。

私は、月曜生まれの蟹座、ということで、子供の頃からお月さまは特別な存在でした。
ですので、ギリシャ神話ではアルテミスが一番好きだったんです。
夜の女主人であり、銀の弓と矢を持つ狩人であり、森の守護者でもあったアルテミスは、処女神で、決して男性を寄せ付けない厳しい一面も持っていました。
また、わたしの守護女神の1柱でもあるアテナも、処女神です。

アルテミスは、処女神でありながら、多産の女神でもあります。
また、アテナは知恵と正義を司りますが、戦いの女神としての一面も持っています。
(軍神マルスとはまた別の、守るための戦いを司るそうですが)
どちらも、矛盾した性質だなぁと感じていました。
なんとなくですが、処女神には、そうした矛盾した性質を多く見受けられる気がして、長年、不思議に思っていたのですが、先日、この記事を拝読して、やっと腑に落ちたというか、なるほど!と思ったんです。

『カルマパターンに気付き、輪廻転生のループから解き放たれるとき 5』
http://plaza.rakuten.co.jp/michaeltan2/diary/201603010000/?scid=we_blg_tw01

狩猟・貞潔の女神、処女神であり、同時に多産の女神である。
これはわたしからするととても矛盾しています。
処女で貞潔である一方で多産であり、狩猟的なエネルギーを司る女神…。
つまり、女性の受容性と能動性、破壊的なパワーと創造的なパワーの両極を表しているのでは…とおもうのです。

(中略)

つまり、アルテミスは女性のセクシャリティのなかに内在している男性性・娼婦性と女性性・母性の両極を表す女神だったのです…。

(以上、本文より)

処女神がなぜ、矛盾する性質を宿すのか。
通常、女性でも男性でも、自分の内側には必ず、『女性性と男性性』の両方を持っているんだそうですが、その割合や、成熟の度合いなどによって、双方のバランスが崩れていたりすると、セクシャリティを起因とする様々な問題が発生しやすいそうです。
処女神が、処女(単身)のまま完結しているのは、自分の内側の両性のバランスが取れているからなのかも、と、個人的に解釈しました。

だから、アルテミスは処女神でありながら多産を司り、アテナは正義と知恵の女神でありながら戦闘を司っているのか、と思ったんです。
もちろん、それが真実かどうかはわかりません。
でも、わたしにとっては、その閃きがとても大切なことでした。

『青の女神』について、自分のガイドが

自分の女性性の部分と男性性の部分とが、自分のカルマ的なものを、ある程度清算した状態で統合した姿(イメージ)である

と説明してくれた、と書きましたが、それはまさに、処女神のことなのだなぁと思ったんです。
だから、自分を守護してくれる女神が『アテナ』というのも、なるほどと思えましたし、自分の進む方向性も、なんとなくわかってきたような気がします。(…気がするだけですけども。)


スピの世界でも、一時期(今でも?)、『統合』という言葉がよく出てきましたし、実際に『統合』というものがなんであるのか、というのも、なんとなーくわかるような、わからないような、という感じで、もんやりとした理解をしておりましたが、要は、『自分のなかの両性を共に受け入れること』なんでしょうね。(そりゃそーでしょイマサラなにゆってんの!、というツッコミはなしでお願いします)


私も、スピの世界に片足をつっこんでから、自己改革・自己実現を目指して(?)色んなことをしてきましたが、一番、効果があったのが『内観』だと感じています。
この内観というのも結構難しいもので、客観視が苦手な人ですと、逆効果になってしまう場合もなくはないようで…
思考の落とし穴にハマってしまったー、なんてことも、あるある体験ですが、それでもきちんとした内観がある程度できれば、非常に有効な手段であると感じます。
それにプラスして、ヒーリングやエネルギーワークなどを実践すると、加速度的に解消や理解が進んだりするようですね。

実際には、自分ひとりですべてやるというのは難しいですので、内観をしつつ、信頼がおけて、客観的な意見をもらえる人物(複数いると良いかも)に話せるのがベターだと思います。
もちろん、専門家にきちんと指導してもらえるのがベストだとは思いますけど、カウンセラーさんもピンキリのようですし、お金ももちろん要りますし、世間の評判が良くても、自分との相性もありますから、一概に言えないようですね。

また、方法によっては、そういった内観などの、自分にとって辛くしんどい過去をわざわざ追体験をしなくても、解消できるものもあるそうです。
つらいこと、かなしいこと、しんどいこと、怒り、恨み、恐怖など、ネガティブな感情は、時に、追体験をすることでこじれることもあるようですから、その辺り、気になる方は、一度調べてみてください。
特に、客観視が苦手な方は、ポジティブな方法の方が合ってることもあると思います。
とっかかりを、ポジティブなものにして、少しずつ修正できてきたら、内観や認知療法などに切り替えてもいいでしょうし、やり方はひとつではないでしょう。

ただ、自分の場合は幸運なことに、周囲にとても心強い友人が何人もいましたので、お陰さまで、内観で変にこじれることもなく、大きく変えることができた、と思っています。

そんな風にして、少しずつ、自分のなかの問題点を見つけ、向き合って、どうしたらいいかを考えていく内に、本当にちょっとずつではありますが、自分のなかの『極端な思考の歪み』が修正されていくようです。
経験上、だいたいの『歪み』は原因を見つけることで、ほぼほぼ良い方向に向かっていくみたいです。


続)
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青の女神 -β-

さて、前回の続きです。

青の女神 -α-


夢のなかで『青の女神』となっていた自分ですが、そのなかで、ひとつ、とても示唆的なものを感じました。
女神モードで戦闘している時、なぜか急に(こんなに同時にいくつもの魔法を使って、エネルギー的に大丈夫だっけ?)と、不安になった瞬間があったんです。
その途端、女神モードとはまた別の自分(従来の自分)が分離して、ひとつの体のなかに、ふたりの自分がいるような違和感を感じたのです。
その後、ラスボスとの戦闘で、劣勢となってしまったのは言うまでもありません。

目が覚めて、そのことを思い出し、

不安というのは、こんなにも強い分離感を生じさせるものなのか

と、思ったんですよ。

自分の『神性』と分離したことで、本来持っている自分のちからを出し切れなくなってしまったんでしょうけど、日常生活ではあんなにはっきりとした分離感はもちろん、その後の展開との因果関係など、明確にわかるはずもありませんが、夢で疑似体験をしたことで、いかに普段、気軽に(?)不安を感じて、本来の力を出せなくさせているか、についても、考えさせられました。

不安という感情が持つちからは、本当に見過ごせないほど、大きなちからなのかもしれません。
不安や心配という感情は、防衛本能のなごりである、というような話を聞いたことがありますので、そうすると、私たちが自分の命を守るために元々備えている機能ですから、ある程度は仕方のないことだと思います。
でも、必要以上に不安や心配が隆起しまうのは、逆に、生き辛くさせてしまうんでしょうね。
そこのバランスを取るのが、ポイントなんだろうな、と思います。


さて、その後、自分のガイドから、その『青の女神』と呼ばれる存在について、

ざっくりと言えば、自分の女性性の部分と男性性の部分とが、ある程度、自分のカルマ的なものを清算した状態で統合した姿(イメージ)である

というようなことを教わりました。

また、『女神』という名称はついていますが、それは私が神である、ということではなく、誰でも自分の魂の階層を上がっていけば、『神』と呼ばれる存在に繋がっていく、という話でありますので、自分がほかの誰かと比べて特別な存在である、ということではありません。
誰もが、ひとりひとり、スペシャルな存在ではありますが、それは比較対象をもってしての『特別』ということではない、というのと同じ意味合いです。


そして、その夢を見た直後、実父が病に倒れまして、非常にドタバタとした日々が約ひと月ほど続くことになるのですが、この時、実際の生活のなかで、この『青の女神モード』を体験させられました。

父が病院に運ばれた当初、『最悪の事態は覚悟しておいてください』と告げられました。
でも、取り乱すこともなく、自分のなかでは始終、冷静に判断し、動けていました。

たぶん、こういう逼迫した状況を経験された方でしたら、思い当たると思うんです。
なんというか、いわゆる『火事場の馬鹿力』ってやつなんでしょう。(いい言葉が見つからないw
たぶん、意識的にも通常モードではなく、非常事態モードに入っていたんだと思います。

あのひと月、お見舞いやら所用やらで、車を運転した方が有利に動ける、ということで、15年振りにハンドルを握ったんですよ。
15年間ペーパーだった人間が、ひと月の間、ほぼ毎日30km近くを運転したんですが、ほんとに非常事態です(自分のなかでw
普段なら、絶対にやりませんw
軽自動車なのでまだ助かりましたけど、やればできるもんだなぁと、妙に感心しました。

お陰様で、その後、父も無事退院しまして、現在は通常運行でございますが、あの時の自分は、今でも『青の女神モード』だったよなぁと思うんです。
取り乱すことなく、状況を読んで判断し、最善に近い行動をとる。

しかし、そのモードのままでは、たぶん、日常生活を送るには不向きなんでしょうね。
秋~冬にかけて、ちょっと体調崩すことが増え、精神的に不安定になることが増えたり、人生(ほぼ)初のインフルに罹患したりなど、さすがに疲れが出たんでしょう。

でも、自分のなかに、そういう『非常時にもちゃんと動ける自分』がいる、という自信が持てたのは、とても大きな収穫でした。
恒常的にその自分でいることは難しいですし、おそらく、その必要性はないのだと思うんですが、それでも、緊急時に的確に判断し、行動できるだけの自分がいる、と思えるのは、自分としても非常に心強いことだ、と感じています。


人間、誰しも『神性』を有していると思います。
ですが、通常の状態では、なかなかその『神性』の部分を表に出すことは難しいのだと思います。

『神性』にアクセスできる意識状態というのが、いわゆる変性意識だと思うのですが、文字通り、通常の意識状態ではないわけです。
なぜ、その意識モードとの切り替えをしなければいけないのか、正確なことはわかりません。
わかりませんけど、通常の状態ではアクセスできない、ということは、逆をいえば、アクセスしっぱなしにしなくてもいい、とも言えるのではないか、とも思うんです。

でも、人として生きていくなかで、どうしても通常モードでは、乗り越えられない場面に遭遇することもあります。
そんな時に、普段は眠らせている能力を呼び覚まして使えれば、上手に乗り越えられる…かもしれません。
そのためには、ある程度、その変性意識へのスイッチングが、意識的にできるようになっていた方がいいんでしょうね。
どうやったら、切り替えれらるのか。
また、どういう状態になったら、変性意識状態に入っていると分かるのか。

そこは、やはり日々の積み重ねなんだと思います。
でも、コツがつかめれば、(あーいま意識状態違うなー)っていうのが、なんとなくでもわかるようになると思います。
わたしの場合、このコツをつかんだきっかけが、以前もブログで紹介しました、運気をあげるためにしていること ~スピリチュアルなお話(中)~の中の、『セルフヒプノ』なんですけどね。


続)
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青の女神 -α-

青の女神



ちょっと前の話ですが、モノツクラーのご友人さまから、ひとつの作品をいただきました。

元は、別の作品のリペアをお願いしていたのですが、そちらのお直しが完了して、再度お送りいただいた中に、オマケ的にくださった作品でした。
でも、それを見た瞬間、自分のなかの、あるイメージとぴったり重なりまして、びっくりするやら嬉しいやらで、しばらく手のひらに乗せて眺めておりました。


去年の夏頃でしたか、ある晩、中二的な夢を見たんです。

夢のなかのわたしは、女魔法使いで、たくさんの敵に囲まれて戦っておりましたw
10人くらいの敵に対して、次々と、すべて魔法で応戦し、敵を殺さずに動けない程度のダメージを与えていくんですが、でも、まったく余裕だったんです。
応戦してる最中も、ずーっと微笑を浮かべて、命のやりとりをしている割に、ものすごく冷静かつ、的確に状況を判断して動いておりました。

その内に、ラスボス的なのが出てきて、『貴様、青の女神か!』と叫びながら、私に向かって、大きな魔力を放ってきたんですが、その瞬間、自分の姿がガラリと変わって、自分の髪や肌だけでなく、着ているものまで、全部、青っぽく変化したんです。
もちろん、自分に放たれた魔力は相殺して、無傷でした。

目が覚めて、(なんつーイタイ夢を見たんだ、自分…)と、眉間を抑えましたけども、その夢のなかの自分の『感覚』がとても生々しかったんですよ。

たくさんの敵と対峙してる時の、自分の内側から溢れ出てくる絶対的な『自信』と、複数の敵を殺さず、動けなくさせるだけの『余裕』がとてもリアルで、(こんな精神が常に保ててたら、ガチで最強なんじゃ?)と、ぼんやりした頭で思ったんです。

普通に『夢』でしたので、夢のなかの自分はまさに『現実の自分』と同じ、リアルさを伴っていましたし、戦闘中ですから、一歩間違えば、死に至る場面であるのは間違いなかったです。
それでも、ものすごく『平静』だったんですよね、夢のなかの自分は。

本当にリアルでの話だったら、絶対にそんな状況で平静ではいられません。
間違いなく、なにもしない内に、即死してるでしょう。
でも、夢のなかの自分は、一切、そんな恐怖も不安もなく、ただただ淡々と目の前の現実を捌いていくのみ。
それは、普段、感情優位ですぐにグラグラと揺れる自分と、真逆の存在と言っていい状態でした。


ご友人さまから送っていただいた作品は、自分のなかで、その『青の女神』のイメージを彷彿とさせたんです。
作品は『3対の翼を高く広げた姿(三翼女神)』をしていますが、夢のなかの『青の女神』には、翼は見当たりませんでした。
でも、これは確かに、自分にとって『青の女神』の似姿(イメージ)であると感じたんです。

その夢の話は、別の友人にしかしていないので、作者であるご友人さまはそのことはご存じではありません。
なので、非常に不躾であるとは思ったのですが、お礼とともに、その女神のお話を、ほんの少しだけさせていただいたんです。
寛大な方ですので、そんなこちらの勝手なイメージの話をしても、ごくごく普通に受け止め、こちらの気持ちを大切にしてくださいました。
ありがたいことでございます。


あまりうまい表現ができないのが、非常に悔しいのですが、ただ『うつくしいな』と感じます。
ご友人さまの作品は、どれも本当に緻密で素敵なものが多いです。
どれについても言えるのですが、華美ではなく、とてもシンプルで、
そうであるが故に、ワイヤーの動き(形というには、あまりに三次元的なんですよ)とか、配置などの絶妙さがわかります。
画像は撮影者の腕(つまりは私の腕)が壊滅的なので、本物の素敵さを表現しきれていませんが(汗
まるで、空の星や月を見上げて、きれいだなぁと感じるのと同じくらい、自然に、素敵だなぁと感じるんです。

"Simple" is "best".

そんな言葉がまさにぴったりの作品を作られる方だと思います。
シンプル。
だけど、精巧。


そんな『青の女神』から、半年強をかけて集まってきた情報から得た、自分なりの気づきを、これからつらつらと書いて行こうと思います。
よろしければ、お付き合いくださいませ。
ヒトリゴト(スピリチュアル) | コメント:0 |

黒い月の色。

本日の日食は、結局、厚い雨雲に遮られて、見ることができませんでしたが、友人が【魚座の日食】を描いたのを見て、なるほどーと思いながら、うなっておりました。

これね↓

魚座の日食(花のように光のように)

本人、こんな風にコメントしてます。

自分の中の「真っ黒な月」も、よくよく見てみたらいろんな色があるんだよ……みたいな感じですかね。

絵を見た時に、なんとなーく、心の底の方から大きくかき混ぜられて、せっかく沈んで大人しく積もっていたものが強制的に動かされ、浮かび上がらざるを得ないような、ちょっとだけイヤな感じがしたんですね。
触れてほしくないものに、触れられたような、ちょっとだけ怒りも含んだ、嫌な感情。

でも、その一文を読んで、(なるほど)と思ったんです。
『真っ黒な月』というのは、ここでは『新月』を表しているのだと思いますが、わたしには『リリス』を彷彿とさせました。
リリスといえば、旧約聖書にも出てくる、いわゆる女悪魔で、自由奔放な女性性の象徴。

また、占星術にもリリスという感受点が存在するのですが、リリスは水星や金星のような『惑星』ではなく、月の軌道の遠地点にあたる場所のことを指します。
占星術上の『リリス』は冥王星に似た性質を持つとし、別名『ダークムーン(ブラックムーン)』とも呼ばれており、月というのは女性性の象徴ですから、その女性性のダークな部分を示すと考えられています。

女性性のダークな部分というと、鬼子母神や娼婦が象徴するような、人目にさらされることのない、むしろひた隠しにするような暗い部分になるかと思いますが、そういう、普段は抑圧していたり、隠していたりするような、まさに、あまり見たくない部分が揺さぶられる感じがしたんですよね。

コールタールのように、べったりとこびりついて、容易には剥がれ落ちないような、そんなドロドロとした黒い感情。

まさに、『真っ黒な月(感情)』

それは一瞬見ただけでは、ただ真っ黒いだけに見えるかもしれません。
まして、普段から見たくなくて奥底に押し込んでいるなものなら、なおさらマジマジとは見ませんしね。
二度と視界に入れたくない、思い出したくもないと思うくらい、嫌なものだったりすると、例え視界に入ったとしても、チラッと一瞥くれただけで終わりにしてしまいがちですが、でもそれは、本当に一瞬見ただけの色のままなのでしょうか。

この絵を見て、(うわぁ…やだなぁ)と、感覚的に思ったんですが、彼女の一文を読んで、

(あぁそっか、ちらっと見ただけでは真っ黒にしか見えなくても、よくよく見てみたら、色んな色が混じっているっていうのは、確かにあるかもしれない)

そう思ったんです。

黒という色は、『光の反射率が0ですべての波長の光を吸収する色』だそうで、すべての色を混ぜ合わせると生まれる色、とも言いますよね。

一見、『黒』に見えるそのナカには、絵のように色とりどりの『色』が含まれていて、実はとても多彩で、繊細で、複雑かつ美しいモノなのかもしれません。

よく見もせず、見たくない一心で、ひた隠しにしてしまっていた感情のなかには、本当は自分が見たくないと忌避するほど醜いどころか、とても美しく澄んだ『色』が潜んでいるのかもしれません。

魚座は、海王星を守護星に持ち、また12星座の最後を司る星座です。
12星座は、人の一生にも照らし合わせられるのですが、物質的な『人間』としての生は、実は水瓶座までなんです。
魚座は、死後の世界、つまりは『魂』としての人間を表している星座でもあるのです。

石井ゆかりさんは魚座を『越境する星座』と表現されていますが、魚座は共感力の強い星座です。
自分と他者との間の線引きがあまり上手ではなく、他者の痛みや感情を、まるで自分のことのように感じる方も、多いように思います。
そんな風に、あまり区別をしない魚座は、守護星である海王星の【融合】という性質も手伝って、境界線が非常に曖昧で、カオスになりやすい一面を持っています。

カオスというのは、混沌、つまりごちゃまぜになっていて、なにがなんだかわからない、という状態のことを指しますが、チラ見しただけの『真っ黒い月』というのも、似たような感じなのかもしれないな、と思ったんですね。

色んな色が混ざっているその『月(感情)』は、黒という単色ではなく、黒を構成する多彩な『色』を含んでいるんじゃないか。

魚座の日食は、そんな風に、普段、気づきもしないその『黒』を構成している多彩な『色』があることを、暗に示しているのではないか。
そのことを、意識的にか、無意識にかはわかりませんが、彼女は絵に表したんでしょうね。

春分という、大きな節目を前にした今回の日食。
人それぞれにテーマはあるかと思いますが、普段、自分があまり好ましく思っていないものの中に、実は自分が探している、うつくしい『色』が見つかるかもしれません。

彼女の絵を見つめながら、自分のなかの『黒い月』を、まずは見つめ直してみようかと思います。
どんな色が隠れてるのかな。

黄色かな♪(結局そこw
ヒトリゴト | コメント:0 |

部分日食@魚座

最後の更新からひと月近くが経過しておりましたw
さぼり魔です…

2月後半からちょっと私事でバタついておりました。
実家で飼っている猫の具合がよろしくなかったので、この3週間、土日もかかさず実家に帰って色々と面倒みておりました。
お陰様で、状態は良くなってきまして、たぶん大丈夫であろうと思われます。
さすがに、わたしがしんどくなってきましたので、ちょっとインターバルを取ろうと思いますw
ふひー。


今日はいよいよ日食@魚座ですね。
日本では残念ながら、部分日食になりますが、日食が日本で観測可能となるのは実に4年振りだそうです。
前回は、2012年の金環日食。
あれは素晴らしかった。
日食メガネを装備し、ちゃんとコロナまでしっかり見えましたよ♪

さて、月はすでに魚座に入座しており、刻々と太陽に近づいております。
どことなく、落ち着かなかったり、イライラしやすかったり、はたまた、強烈に眠くなったり、人によってはインスピレーションが冴えたり、芸術的な部分を刺激されたりするかもしれません。

占星術上、魚座というのは、12星座の最後の星座になりますが、そこで起こる新月というのは、次に迎える春分(牡羊座、つまりは12星座のスタート)を前に、最後の禊を行うようなイメージが個人的にはあります。
春分は、占星術上での【お正月】のようなものですので。

また、【食】というのは、新月・満月の時にしか起りません。
そして、新月・満月ならいつでも起こるのか、というと、そういうわけでもなく、占星術では、【ドラゴンヘッド(DH)】【ドラゴンテイル(DT)】と名付けられている、天空上の架空のポイントで新月・満月を迎えると【食】が起こる仕組みになっています。
DH、DTというのは、太陽の通り道である黄道と、月の通り道である白道が交わる、南北2つの交点のことを指しています。

ですので、ある種、【特別な新月・満月】になります。

現在、DHは乙女座22度付近に、DTは常にDHの極にあるため、魚座22度付近になります。
明日は、太陽と月が魚座19度付近で合を迎えますので、今回はDTでの日食となります。

そして、これは絶対ではないのですが、日食と月食というのはだいたい、セットで起こることが多いです。
ということで、次の満月(3/23)は月食が起こります。
ただし、今度の月食は半影食のため、肉眼ではほとんど変化はわかりません。
月食は日食と違って、世界中どこにいても、食の時間帯に空に月が見える地域であれば、同じ見え方をします。
半影食については、カメラで露光を控えめにして撮影すると、陰になっている部分が肉眼で見るよりも、はっきりと写るそうです。
カメラをお持ちの方は、チャレンジしてみてはいかがでしょうか?

また、日食に話を戻しますが、普段、新月は見ることができませんが、日食が起こる時は(今回は部分日食ですから一部だけですが)、いわゆる【見える新月】になるんですよね。
普段見えないものが見える、という、ちょっと不思議で貴重な時間を楽しめるといいな、と思うのですが、空模様があやしいですね…
雲間からちらっとでも見えるといいけどなぁ。

ジャスト新月まではあと3時間ほど。
10:56頃に、占星術上では新月を迎えます。
最大食は11:08頃。


また、ちょっとした口論や、言い間違い、言葉の受け取り違いなどから発生する、誤解や諍いなどの暗示もありますので、新月・日食の揺さぶりによって、大きく気持ちが乱されないよう、しばらくは注意が必要かもしれません。
ちょっとした気持ちのゆとりを持つよう、心がけてください^^
天文ゴト | コメント:0 |
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